開戦当初は戦争とは思えないほど
開戦当初は戦争とは思えないほど平穏な日々だったが、フランスの降伏後は、単独でナチス・ドイツと戦った。ドイツ軍の上陸を想定し、沿岸地域の住民に対し様々な対策を試みた。1940年8月下旬からはロンドンをはじめ、各都市がドイツ空軍爆撃機の夜間無差別爆撃に遭い、多くの市民が死傷した。又、ドイツ海軍Uボートによる通商破壊により生活物資の供給は逼迫、困窮した生活を余儀なくされた。1944年には、戦争がイギリスに有利になり、国民生活にも徐々に余裕が出てきたが、同年6月8日からはドイツ軍が新たにV-1飛行爆弾でロンドンやイギリス南東部を攻撃し、さらに9月13日からはV-2ロケットでの攻撃も加わり、市民に死傷者が出た。戦争が有利に展開したのに再度防空壕への避難を余儀なくされ、特にV-2は当時の戦闘技術で迎撃不可能だったので、市民への心理的影響は決して小さく無かった。
戦線から遠く離れてるため戦火に巻き込まれずにすんだが、しかしアメリカの参戦をきっかけに多くの国民は徴兵されたが、志願する人も少なくなかったが最終的に1200万人になる。これは当時のアメリカの人口10.5%にあたる。だが戦争による特需は経済を好転させる事ができ、国民のほとんどは安定した生活を送る事ができた。
第二次世界大戦の結果、ファシスト・イタリアが倒れ、ドイツと日本が降伏した。犠牲者数は世界でおよそ6,000万人と言われる。主要参戦国における死亡者数の概数は、ソ連2,000万人(軍人1,300万人・市民700万人)、中国1,350万人(350万人・1,000万人)、ドイツ730万人(350万人・380万人)、ポーランド540万人(12万人・530万人)、フランス60万人(25万人・36万人)、イギリスおよびイギリス連邦50万人(45万人・6万人)、日本210万人(170万人・38万人)、アメリカ40万人(40万人・0.17万人)、イタリア40万人(33万人・8万人)と推定されている。
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敗戦国となった枢軸諸国にはアメリカ軍を中心とする戦勝国の軍隊が進駐した。敗戦国への処遇は第一次世界大戦の戦後処理の反省に基づいたものとなった。第一次世界大戦の戦後処理では、敗戦国ドイツの軍備解体が不徹底であったため、ドイツは再度第二次世界大戦を挑むことができた。しかし第二次世界大戦の戦後処理では敗戦国の軍備は徹底して解体され、敗戦国が他国に対して再度侵略行為を行うことは不可能となった。一方で、敗戦国への戦争賠償の要求よりも経済の再建が重視された。西ヨーロッパではマーシャル・プランが実施され、日本ではGHQによる政治経済体制の再構築が行われた。戦後、敗戦国は経済的には復興したが、軍事力においては限られた影響力しか持たない状態が続いている。
ドイツ東部を含む東ヨーロッパおよび外蒙古・朝鮮半島北部などにはソ連軍が進駐した。ソ連は東ヨーロッパで戦前の政治指導者を粛清・追放し、代わって親ソ連の共産主義政権を樹立させた。中国でも中国共産党が国共内戦に勝利し、世界はアメリカ・西ヨーロッパ・日本を中心とする資本主義陣営と、ソビエト・東ヨーロッパ・中国を中心とする共産主義陣営とに再編された。この政治体制はヤルタ会談から名前を取ってヤルタ体制とも呼ばれる。そしてその後も二つの陣営は1990年代に至るまで冷戦と呼ばれる対立を続けた。